スイス時計産業は、パンデミック後の需要ブームから一転して、厳しい状況に直面しています。スイス時計産業連盟が発表した最新レポートによると、2024年8月の輸出台数は120万個を記録し、前年同期比で12.5万個もの減少となりました。しかし、興味深いことに総輸出額は18億スイスフラン(約2,610億円)と7.8%の増加を示しています。この一見矛盾する数字の背景には、高級金属モデルの価格上昇という要因が隠されています。
業界関係者の間では、この状況を「量から質への転換期」と捉える見方もありますが、実態はより複雑です。特に、従来の主力市場であったアジア地域での需要低下は、業界全体に深刻な影響を及ぼしています。
スイス時計産業の現状分析
市場セグメント別の詳細分析
時計市場の主力製品であるステンレスモデルの状況は特に深刻で、金額ベースで7.0%の減少、数量ベースでは10.5%もの大幅な下落を記録しています。この数字は、業界が直面している構造的な問題を如実に示しています。
さらに懸念されるのは、中価格帯から入門価格帯の市場の落ち込みです。輸出価格3,000スイスフラン(約435万円)以下の時計は、金額で14%、数量で11%という大幅な減少を示しており、この価格帯での需要回復の見通しは依然として不透明です。
アジア市場における課題と展望
中国市場(-5.9%)と香港市場(-11.1%)における需要の低下は、前月までと比較すると下落幅は縮小しているものの、依然として大きな懸念材料となっています。特に中国市場については、経済成長の減速や消費者の購買行動の変化など、複数の要因が絡み合っており、短期的な回復は期待できない状況です。
産業連盟の報告では、「両市場における今後数か月の見通しは極めて否定的」と指摘されており、メーカーや小売業者は在庫管理と生産調整に細心の注意を払う必要に迫られています。
業界が直面する構造的課題
深刻化する生産過剰問題
リシュモン・グループのヨハン・ルパート会長は、最近の株主総会で異例の警告を発しました。「世界の時計需要はブームを過ぎた」という彼の発言は、業界全体に衝撃を与えています。
特に注目すべきは、一部のメーカーが従業員の一時帰休プログラムを利用し始めていることです。例えば、スウィンド・グループのブランドであるジラール・ペルゴとユリス・ナルダンは、従業員の約15%を一時帰休させており、スイス政府が給与の最大80%を補償する制度を活用しています。
為替変動の影響と対応策
スイスフランの著しい強さは、業界にとって追加の課題となっています。過去2年間で対ドルで13.75%も上昇したスイスフランは、メーカーに困難な選択を迫っています。価格を引き上げれば販売数の減少リスクが高まり、現状の価格を維持すれば利益率が低下するというジレンマに直面しているのです。
回復の兆しと今後の展望
しかし、すべてが暗い話題というわけではありません。以下の市場では、むしろ需要の回復が見られています:
- アメリカ市場:7.6%増
- 日本市場:14.4%増(特に高級モデルで顕著な伸び)
- シンガポール市場:9.3%増
- UAE市場:26.9%増(観光需要の回復が寄与)
- イタリア市場:17.6%増
- 韓国市場:14.2%増
これらの市場での好調な実績は、地域によって需要の回復に差があることを示しています。
中古市場の動向と影響
WatchChartsの市場指数によると、過去1年間で高級時計の中古価格は7.1%下落しています。この下落は新品市場に直接的な影響を及ぼすわけではありませんが、購入者の心理や価格に対する期待に大きな影響を与えています。
一方で、取引量の多い高級中古時計50銘柄を追跡するブルームバーグのSubdial Watch Indexは、2024年8月に底を打った兆しが見られます。
ロレックスのジャン・フレデリック・デュフール CEOは、「すべてのメーカーが好調だった時期は終わりを迎えている」と指摘し、「好況期には往々にして生産過剰となり、市場が弱まると小売業者は値引きで対応せざるを得なくなる」と現状を分析しています。
まとめ:今後の展望と対応策
スイス時計産業は現在、重要な転換期を迎えています。回復への道筋として、以下の3つのポイントが重要となります:
- アジア市場、特に中国市場での需要回復
- 生産量の適切なコントロールによる過剰供給の防止
- 為替市場でのスイスフラン高の是正
現時点では依然として「買い手市場」の状況が続いていますが、この状況は消費者にとっては良い購入機会となっています。一方で、メーカーや小売業者は、在庫管理の強化やマーケティング戦略の見直しなど、より慎重な経営判断を求められています。
今後の市場回復には、各企業の戦略的な対応と、マクロ経済環境の改善が不可欠となるでしょう。特に、デジタル化への対応や持続可能性への取り組みなど、新たな価値創造も重要な課題となっています。